競走馬、バーボンウィスキー、タバコ。 ケンタッキー州レキシントン(Lexington)はこれらの産地として有名です。このコーナーではレキシントンの概要を紹介します。
Lexingtonは初めMasterson's Stationという名称でしたが、1775年に米国独立戦争の最初の戦いの地であるMassachusetts州のLexingtonを賛美して同名のLexingtonに改名しました。1770年代のKentuckyはVirginia州のFincastle Countyの一部でした。その後、このFincastle CountyはKentucky Countyに分かれ、そのKentucky Countyから現在のLexington市が属するFayette Countyとその他の2つのCountyが産まれました。 Fayette Countyは有名なフランスの将軍Marquis de Lafayetteに因んで名づけられました。そして、Lexingtonは1782年に公式な市となりました。 この頃のLexingtonの主要な産業は麻の栽培と、それから作るコットンの俵用の麻紐と麻袋の生産でした。第二次世界大戦前後まで麻はBluegrass (Lexington周辺はこのように呼ばれている)の主要な産業でしたが、その後タバコの栽培が中心となって行きました。 しかし、現在でもタバコに代わって麻の栽培をBluegrass地域の主要産業にすべきだという意見も多く、白熱した論議が交わされ続けています。 (麻はマリファナの原料となるため現在法律でその栽培は禁じられています。しかし、Bluegrass地域では法の目をかいくぐってまだあちこちで麻が栽培されているのが現状です。) 現在のKentuckyの州都はLexington市の西に位置するFrankfort市にありますが、1792年には一時的にLexington市が州都となりました。 そして、時代は南北戦争の勃発した19世紀へとなっていきます。 南北戦争前のLexingtonは近隣のCincinnatiやLouisvilleのリバー都市(川によって産業が発達した都市)に対抗すべく、道路や鉄道の建設に力を入れてきました。その間、Lexingtonは奴隷の人口が増えつづけ、1850年にはその人口の半分が奴隷によって占められるようになりました。そして、有数の奴隷市場へと発展していきました。これに対し、Henry Clayの遠い従兄弟に当たる熱心な奴隷制度廃止論者のCassius Marcellus Clayは「True America」という新聞を1845年に発行し奴隷制度に反対しました。しかし、「True America」はその後、奴隷支持者の政治的圧力により廃刊を余儀なくされてしまいます。この奴隷制度支持者と廃止論者との戦いはそれから始まる長い歴史上の戦い、南北戦争の一頁を記すこととなりました。南北戦争においてKentucky州は境界上にあり、多くの家族、親類、友人、ビジネスパートナーが引き裂かれる結果となりました。 やがて、南北戦争は終結し、Lexington市は発展しつづけます。1865年には「Agricultual and Mechanical College」が設立され、現在の「University Kentucky」へと発展していきます。その他、この時代には現在のLexington Herald-Leaderの前身に当たる、Kentucky Leader (後にLexington Leader)が1888年に、Morning Herald(後にLexington Herald)が1896年に発刊されました。また、1886にLexington Opera Houseも建設されています。 20世紀に入りアメリカの経済が大きな恐慌に見舞われているときも、Lexington市は比較的その被害をこうむりませんでした。1910年代にはKeeneland競馬場、1942年にはBlue Grass Airportの建設が着工されました。第2次世界大戦後、Lexington市は経済的な大発展を遂げます。Square-D、Dixie Cup、IBMのタイプライター部門(現在のLexmark)などの大企業がLexington市に本拠地を構え、1954年から1963年の間にLexington市の就業人口は260%も増加しました。 このようにLexington市は独立戦争以前からの古い歴史をもち、現在でもまだ昔ながらの文化遺産と新しい産業とのバランスを保ちながら経済的な発展を続けている、アメリカ有数の中規模都市として位置付けられています。
Lexington市がほぼ全域を占めるFayette CountyはCentral Kentuckyに位置し、緑豊かな牧場の景勝地として知られています。 Fayette Countyの人口は約25万人、広さは280平方マイルあります。また、Lexingtonから車で約2時間以内のところには、キャンプ、ハイキング、釣り、マウンテンバイク、ボート、狩猟など、数々のアウトドアライフを楽しめる場所があり、アウトドア派の人々の憧れの地とされています。 ショッピングに関しては、ダウンタウンをはじめとして市内のいたる所に大小さまざまななショッピングモールがあり、一部のブランド品を除いて殆ど市内で欲しいものを揃えることが出来ます。外食産業に関してもLexingtonは、数多くのレストランが店を連ね、市民一人あたりが外食に使う金額が全米の都市の中で上位に入るほどです。日本食レストランも現在市内に6件あり、この規模の街としては多いほうに属します。 Lexingtonはその生活の質の高さでも全国的に高い評価を得ています。 全米の都市を天候、犯罪、教育、物価、交通の便など、いろいろな観点から総合評価した「Lee and Saralee Rosenberg's 50 Fabulous Place To raise Your Family」の上位50位の都市の中にLexingtonは含まれています。 そのため、人々の定着率も高く、Lexingtonで育つと自分の子供もLexingtonで育てたくなり、なかなか他の都市に移りにくくなると言われています。また、このことは、それだけの人口を養うだけの就労の道が開けているということの証明にもなります。
Lexingtonは世界に誇るサラブレッドの産地です。 Lexingtonに向かう道の両側には馬牧場の白いフェンスが連なり、なだらかな緑色のヒルにサラブレッドがのどかに草をつまむ光景を目にします。 Lexingtonの馬の歴史は遥か18世紀に遡ります。 1789年の国勢調査によると、その年のFayette Countyの人口が9,000人であったのに対し、馬の数はなんと9607頭もあったとのことです。 1791年には歴史的な記録である3日間の競馬(会)が催されました。また最初のJockey Club(競馬クラブ)も1971年に街の居酒屋で結成されました。そして現在、1996年の馬産業に関する調査によると、州内には15万頭の馬が飼育され、そのうち、67,000頭が競馬用、37,000頭がレクリエーション用、32,000がショーなどの興行用、そして残りの15,000頭がその他の目的に使用されているとのことです。さらに、同調査はケンタッキー州の馬産業の規模は年間$1.2billion (1ドル100円換算で1,200億円)にのぼり、128,800人ものKentuckian(ケンタッキー住民)が馬産業に何らかの形でかかわっていると報告しています。
Lexington市周辺には馬にかかわる公園や博物館、Horse Farm ツアーなどのアトラクションが数多くあります。その一部を以下に紹介します。 Park & Museum
Horse Farm Tours:
The Champions Golf Club 9番ホール 牧場の緑で町全体が覆われているLexington。その中でもひときわきれいに整備された芝生がいたるところで目立ちます。Bluegrass地域のなだらかなローリングヒルは馬牧場だけではなく、ゴルフ場の立地条件としても最適な環境です。 Gay BrewerやMyra Van Hoose Blackwelderなどの有名なPGAプロゴルファーもこのLexingtonで育っています。Lexington周辺のゴルフ場を以下に紹介します。
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