セントラルケンタッキー日本人学校の新校舎完成おめでとうございます。思えば1986年ケンタッキーにトヨタが工場進出を決めた際この学校がインセンティヴの一部と約束されてから、当初期限の20年が過ぎたことになります。
当時は州政府もいくらのお金がかかるかも全く理解せず20年間無料の日本人学校を約束しましたが、いざ実現ということになったときには「予算がないので待ってくれ」ということでほぼ6ヶ月間めどが立ちませんでした。初代理事長となった私としては、痺れを切らして「州ができないのなら自前でお金を集めてやろう」と皆さんと相談しかけていたころに州政府からUKの教育プログラムの一部として実行するという吉報が届きました。それからテーツクリークの小学校と中学校の校舎を借り、図書館と職員室用のトレーラーハウスを運びました。
そして先生を集めることにしましたが簡単にはいきませんので先ず校長先生をトヨタで雇って派遣してもらいました。100人の規模になり文部省から校長先生を送ってもらうようになるまでこれが続きました。そして若干の先生を日本で募集して採用しました。それだけでは足らないので始めの2年間は私の妻も含めトヨタ従業員の奥様方にヴォランティアとして手伝っていただき他に例のない高校の授業まで含めた補習校としてスタートしました。生徒数は30人強と記憶しております。
私は初代理事長と3代目理事長として都合6年間自分で言うのもなんですがワンマン理事長を勤めさせていただきました。思いとしては子供の教育を充実するには資金が要る、20年たったら自前で運営する資金が要る、理事会というものは教育の充実のために潤沢な資金を用意し良い先生と教材を提供することと決めました。従って各企業には応分のご寄付と年間の拠出金をお願いしましたし、州政府が無料の教育といっているのにご父兄にも他地域並みの授業料を納めていただきました。若干のご不満の声もありましたが、そこはそれワンマン理事長ですので「ここは私立の学校です、お子様の教育費用が惜しいということなら辞めていただいて結構」と押し切りました。
おかげさまで当時から教材は日本人補習校としてはまれに見る量と質を確保し先生方も比較的自由に採用できました。日本からつれてきた先生方には、平日、進出企業の通訳などの仕事をしていただきましたし受験用の塾もやり収入を増やしました。各企業の皆様のご協力には改めて感謝申し上げます。こうした資金の潤沢さはよその補習校から羨ましがられましたし文部省からは良い校長先生を送っていただける基礎になりました。
そして今あの時考えていたような自前の校舎ができるというではありませんか、ここまで来るには多くの皆様のご努力があったに違いないと思います。それにしてもあの当時夢のように考えていたことが実現するなんて望外の喜びです。是非ここがこれからの20年の始まりと考えて更なる教育の充実を図り海外に連れられてきたお子様たちが「あの補修校のお陰で楽しく充実した海外生活が送れた」といえる学校を作っていただきたいと思います。
私はこの快挙を見ることができた大変幸せ者です。本当に皆様のご努力に感謝申しあげ、おめでとうといわせてください。そしてこういう機会を作っていただいた現理事会の皆様にお礼申し上げます。
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